術前検査結果から入院まで

2012年7月6日の夕方、主人と
手術前の最終説明を聞きに行って来ました。

主治医はこの病院でもたくさんの患者さんを
担当されていますが
私たちの為に最後の時間に
たくさん質問できるようにと
一番終わりの時間を設定してくださいました。

この日も予約時間より
2時間経過して
やっと呼び出しがかかります。
でも、そういう丁寧な診察の先生ということで
それも覚悟の上です。

待ち時間にやることをたくさん持ってきた主人。

最近の私の付き添いや
家事でかなり疲労して
寝てしまいました。
申し訳ない。
ほとんどだれもいない待合室です。
静か。

私は相変わらず、緊張で
何も手が付きませんでした。

ペットボトルのお茶を飲んでは
トイレばかり。

6時くらいに主治医の診察室へ。

また、画像など見ながらの説明となります。

かなり大きく切ります。
私の場合、右胸、全摘ということに
なっています。
細胞生検で針を通した跡の付いた皮膚は
がん細胞が針について通過した部分。
そこも含めての切除です。

そして
大きく腫れて画像に映っていたリンパ節も切除します。

そのリンパ節は
先日、癌の転移は無いことがわかり
抗がん剤を使うことの可能性が
かなり低くなりました。
(↑ これは後日手術中に転移ありとわかり、
抗がん剤確定になっています。)

しかし、先生のお話ですと
この手術の結果では
抗がん剤もありとのことでした。
覚悟はしておいたほうが良いみたいです。

結果が良くて
抗がん剤をしなくてすむということになった日は
またお祝いしようと思います。
そんな感じで抗がん剤のことを
受け入れておこうと思います。

手術の前日にセンチネルリンパ生検。

センチネルリンパ節とは、
リンパ管に入ったがん細胞が最初にたどり着く腋窩リンパ節のことで、
がんのリンパ節への転移を見張っているという意味で
“見張りリンパ節”とも呼ばれます。
センチネルリンパ節生検は、
手術の前に乳がんの近くにラジオアイソトープを局所注射し、
(聞くところによると
この注射はめちゃくちゃ痛いそうです・・・・)
これを目印にして、手術中にセンチネルリンパ節を探しだして摘出し
このリンパ節にがんが転移していないかどうかを調べる(術中迅速診断)ことをいいます。

その結果、転移があれば
その脇の下のリンパ節を切除していくそうです。

やはり
手術で患部を検査しなければわからない、
そして患部を切除後に
詳しい精密検査を行い
その結果によって
抗がん剤、ホルモン療法、放射線療法を合わせて
行うとのことでした。

 

がん細胞が
どこまで内部を侵食しているかは
実際患部を切除しないと
完全にはわからないのです。

ここにきて
やはり抗がん剤を投与することが完全になくなったのではないと
理解し覚悟を決めた私です。

今後転移、再発の可能性を低くし
生存率を高めるためには
抗がん剤が必要ならば
がんばるのみです。

もちろん、術後、リンパ節へ完全に転移が無く
抗がん剤の必要も無いという状態が
一番望ましいけど。

 

先生は説明中は厳しいお顔で
丁寧に話されました。
私も主人も一生懸命聞きました。

手術の後、出血が止まらず再手術があることが
まれではあるが現実にある、
また郭清をした場合リンパ液がたまって
腕が3倍近くに腫れる場合もあるという
お話も、受け止めました。

血圧が高い私は少し心配ですが
今、治療でかなり低くなっています。

手術まで
また摂生して体調を万全にしないと!

先生は説明を終えられた後、
質問が無いかと聞いてくださり、
私は
「よくわかりました!
先生、どうぞよろしくお願いします」と
決意を込めてお返事。

そこで先生は
厳しい表情を和らげ
にっこりと笑って
「風邪を引かないでくださいね。
手術、がんばりましょう!」
と言って下さいました。

先生を信じます。
そして
今日は
術後退院したとき、
すぐに横になれるように
ソファーベッドを買ってもらいました。

病院のベッドのように
背もたれも上がる便利なものです。
主人と息子で2階に持ち上げて設置。
重くて大変でした。
ほんとに、ご苦労様といいたいです。

そして入院は7月11日と言われています。
ベッドの関係で
少し前に入院するかもしれませんが
手術日は12日と決定しました。

もうすぐです。

怖いと思うけれど
早く、無事に手術を終えて
次の段階に向かって歩き出したいと
思います。

1日でも早く退院できることを
願って。

心配な鉄子。
今までいつも側で鉄子を守ってきた私が
いない。

体調を崩さないで
どうか元気で
待っていて欲しい。

そう願いながら、
これからの自分を奮い立たせ、
入院準備の最終段階に入ります。

きっと
しっかり手術を受け
生存率を高めて
鉄子を守るために長生きします。

たくさんの方から励ましをいただき
本当にうれしいです。
ありがとうございます。

また、いっぱいのメールで励ましてくれた友へ。
感謝の気持ちでいっぱいです。

そして
毎日、たくさん話しを聞いて支えてくれた
主人と息子にもありがとう。
かなり甘えてしまったけど
落ち着いた気持ちでここまでこれました。

皆様へ感謝の気持ちを込めて
ありがとう。

では、皆様も
お体をお大事にして
お元気でいらしてくださいね。

愛子  2012.07.08

病院に行った日は7日の七夕の前日でした。
1階のロビーに
短冊を書く場所が設けられ
入院患者さん、その家族の願いが
笹の葉に結び付けられていたのです。

その場所を通って
2階に上がるとき、
目に入ってきた短冊の文字。

幼い字で
「ママが早く元気になっておうちに帰ってきますように」

また、達筆な文字で
「妻の誕生日には自宅でプレゼントを渡せますように」

皆さんのお気持ち、
今の私には胸に痛すぎました。
エスカレーターで2階に上がる瞬時の間に
涙がつーっと流れました。
一緒にいつも付き添ってくれる
主人に感謝しながら
短冊を書いた方の気持ちを思いました。

転院から最終診断まで

2012年5月25日
がん研有明病院での初診。
診察が午後からだったので
午前中、マレーシアから帰国中のブログ友達のゆんこさんと
お会いした。
ゆんこさんは2006年に乳癌の手術を受けて
術後6年目の方。
大変な月日を乗り越えて今は元気に
パピヨンのLEVIN君とご主人とマレーシアに住んでおられる。
色んな話をお聞き、
たくさんのことを知ることができた。
今度の病院は遠いと思っていた。
ところが実際には家から1時間くらい。
電車の線が新しく開通し
我が家からいつの間にか近い場所になっていたのが
幸いだった。
以前だったら1時間半はゆうにかかっていた。

病院の雰囲気はとても静かで、
呼び出しはすべてPHSで指示される。
名前を呼ばれるのは中の待合室くらい。
広いスペースにゆったりとした待合室。
中庭のグリーン。
とてもいいなと思った。

最初は女医さんの診察を受ける。
丁寧に今までのことを記録、
そして診察。

再度、前の病院から持参した細胞のプレパラートを
こちらの病院で検査し、診断を下しますとのこと。

その結果が6月2日に出る。

手術のために精密な状態を検査していくため
病院のスケジュールの中に
私の検査日が組み込まれた。

その日も5時過ぎまでかけて
検査をこなすことに。

マンモグラフィー。
これは最新式の機械。
そして技師の方がすごく上手で痛くなかった。

乳腺超音波検査。
これは胸の患部辺りにゼリーを塗って
検査するものだが
すごく長い時間かけて丁寧に診察。

心電図検査
これはすぐに終わった。

かなり時間がかかった初日だったけど
病院の雰囲気も気に入って
やる気が出た日となった。

しかし、家に帰ると、鉄子が
きゅんきゅん鳴いて
主人が困り果てていた。
初めて長い私の不在で不安だったらしい。
お腹まで腸がギュルギュル。
これには困った日だった。

私が全面的に面倒見て
いつも家にいて、
過保護にしてしまった鉄子。

私の入院中、耐えられるだろうか・・・
それが心配でたまらない。

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2012年6月2日
細胞診断の結果を聞きに。
夫婦で来るように言われていたので
朝から二人で出かける。

鉄子はこの日、息子がお休みのため
一人にせずすんだ。

病院について、
採血、6本も。
途中で気の弱い私は気が遠くなった。
でも、この病院の採血は痛くなくて上手だと思う。

そして採尿。

次に
胸部立位レントゲン撮影。
名前呼ばれてレントゲン室に入ると
自動音声で案内流れてびっくり。
そして金属無しの上半身Tシャツ、下はそのままジーパンで。
正面と左右の横向き各1枚ずつ。
横向きのレントゲンなんて初めてだった。
検査の最後は肺機能検査。
結構ほめられるくらい肺機能はあるとのこと。
一安心。

この日の検査では採血が嫌だった以外は
痛くないので平気な日だった。

全部の検査が終わった後。
女医さんの診断結果。

細胞診断の結果、やはり癌は間違いない。
しかし、顔つきの良い癌で
進行はslow.
ホルモン剤の使えるタイプ。

しかし、リンパ節に大きく腫れた部分があり
転移が疑われる。

この女医さんの話では
最初に抗がん剤で小さくして
それから手術という方法があるとの話。
(これは後日、変更になる)
そして、表在リンパ超音波検査が早まり、
ほとんど検査を終えたところで
希望した主治医のM先生に診てもらえることが決定した。
ふたりで、転移あってもこれからも
がんばろうと話しながら電車に乗る。

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2012年6月5日
MRI
これは私がもっとも怖いと思っていた検査。

検査前に左手に金属ではないという点滴針を刺す。
そこでもう私はOUT状態。
その針が気持ち悪くて、挙動不審。
前の人が終わるのを待つ間、
最悪の気分だった。
普通の人はきっと点滴針、平気なんだと思う。
わたしはどうしても苦手だ。

そのまま呼ばれた検査室へ。
まっすぐ歩けなくて支えられた。
情けないけどがに股状態。

でも、ベッドにうつ伏せで寝てしまえば
もう時間が過ぎるのを待つだけ。
30分から40分だった気がする。

ヘッドフォンでクラッシックが流されるが
大音量の検査の機械の音、がんがんすごかった。
途中で「点滴入れます」といわれ
身構えた。
すーっと冷たいものが流れてちょっと気持ち悪い。

でも、終わった!
自分でもがんばったと思った。(おおげさ)

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2012年6月6日
骨シンチグラフィ検査。

これもちょっと怖いなあと思いながら受けた。

骨に癌が転移していないかの検査。

朝10時半に放射性医薬品検査薬を静脈注射。

それが骨に行き着くまでの時間を3時間ほど空けて
X線検査。
3時間の間、病院内をフラフラしていた。

そして、だだっ広い部屋で
遠隔操作されるX腺のカメラが
目の前まで迫り40分近くじっとしての撮影。
最後は眠ってしまった。

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2012年6月8日
表在リンパ節超音波検査。

体表面のリンパ節の肥大の有無の検査。
乳房を超音波するときよりも
違う場所をぐりぐり検査。
何回もぴっぴっと撮影されるのが
とても気になったけど
痛くない検査だった。

帰りに田無で降り買い物。
電車に乗り間違って
3つ先の駅まで連れて行かれてしまった。
ぼんやりしてるんだなと一人で苦笑。

次の診察は
主治医のM先生の診察。
緊張してる。
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2012年6月13日。
いよいよ主治医のM先生の診断日。
主人も来るように言われていて
二人で出かける。

16時の予約だが、患者さんを多く受け持つM先生なので
かなり待つ覚悟で来て欲しいといわれていた。

15時半に着き、待つこと1時間半。
先生の診察を受ける。

写真でお顔は存じ上げていた。
厳しそうな表情だったが実は素朴で優しい先生。
よかった。
「これは自分では気がつかない癌ですね」と
優しく言ってくださった。
そして「あなたの癌は治療すれば治ります」とも。

ただ、リンパ節が大きく腫れているので
リンパへの転移がかなり疑われるとの診断。
それを確かにするために
リンパに針を刺す検査をすることになった。

その結果により抗がん剤ありとのこと。

もしリンパに転移がわかれば手術は7月2日。
そういわれた。

覚悟して家に帰る二人だった。

私は抗がん剤で全身の毛が抜けるとの事を聞き
カツラとか調べ始めて。

抗がん剤での副作用
吐き気、だるさ、爪がはがれるなど
受け入れる覚悟をした。

そして主人が今後の診察は全部
付き添うといってくれた。
痛みを一緒に分かち合うと。
ずっと迷惑かけたくなくて一人で
検査に出かけていた私だが
ここのところの精神的不安が大きく
この言葉で気持ちが安らぐ。
中庭で仕事しながら待ってくれる主人。
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2012年6月15日
乳房所属リンパ節穿刺の超音波検査。
名前見ただけですごく怖い。
また麻酔無しって聞いていた。

主人も心配そうに付き添ってくれたが
診察待合室へは一人で。
同じ検査を終わった方が、胸を押さえて
ちょっと涙ぐんで出てくる。

はーー。。。怖いなあ。

名前呼ばれ、診察台へ横になる。
わきの下をエコーで
針を刺す場所を探す。
これがかなり時間かかって、
二人の技師さんの話し合いが長かった。
そして刺す場所が決まり
「あいこさん、がんばりましょうね!」と気合入れられ
ますます、緊張。

もう、目をつぶって
頭の中でみんなの名前を呼んでいくことにした。
じいちゃんからばあちゃん、主人、なおき、鉄子・・・
長い時間かな、
でも5分くらいかな、痛くて気持ち悪くなりそうだった。
でも、終わりはあっけなく針を抜いて終わり。

よろよろしながら胸を押さえて、
待合室にいた主人の横にどたっと座り込んで
しばらくじっとしていた。
あー、もうぜったいあれはしたくないなあ。

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2012年6月19日
採血、3本。
腹部超音波検査。

採血は前の6本に比べたら
平気だった。
ちょっとだけ、採血平気になった。
大人気ないけどどうしても針が怖い。苦手。
これから手術するのにこんなで平気かなあとか思う。

朝から食事抜きで3時に腹部の検査。
これは超音波での検査なので
痛くないけど、
かなり長い間、真上、横向きになってとか
ぐりぐりやられた。
お腹に転移があったら嫌だなあとか
考えながら、先生の指示に従って
息を吸ったりとめたりした。

そしてこれで
すべての検査終了!

長かった。
全部の検査、何個やったのかな。
やり終えた充実感。
後は、最終診断を待つだけだった。

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2012年6月22日
主治医M先生の最終診断。
私は目がうつろでトイレばかり行ってた。
朝9時の予約だったので、
遅れないために、家を6時に出た。
大雨の日で案の定、電車が遅れた。
早めに出て正解。

病院に8時に着き
サンドイッチを買って二人で食べた。
あんまり食欲なし。
今日の結果を聞くのがすごく怖くて。

この日はiPodで曲を聞く気にもなれず。
ひたすら、座って、なんだかため息ばかり。

そして、
とうとう診察の時間がやってきた。
PHSがブルブル言って、診察室へ入るように指示。

二人で先生に挨拶。
そして座る。

先生は
PCの映像を見ながら
はじめから説明をされるも
難しい顔で、あったので
「ああ、、やはり転移してたんだ」と落ち込む。

しかし、次の瞬間、先生が
「リンパへの転移はなかったんです」と言われる。

「え!そうなんですか!」と驚く二人。
ほんとに!ほんとに!良かった。そう思った。
(↑ しかし、これは後日手術中に転移ありとわかる)

手術は7月中旬の日と
先生はスケジュールを説明。
その日でいいですか?と聞かれる。
「もちろん、いつでもだいじょうぶです」と答える。
声が上ずりながら。

リンパに転移していなかったことで
これからの私の体の状態も
治療方も大きく変わる。
抗がん剤を
しないでよい方向になる可能性が大きくなった。

そして先生は笑みを浮かべながら
「よかったですねー」と
私たちの顔をかわるがわる見ながら言ってくださった。

私はその瞬間、思いがこみ上げて
涙がこぼれ、こらえきれず嗚咽しそうになった。
もう、泣かないと決めていたのに。

でも、うれしかったからしょうがない。

そして腰が抜けてしまって
椅子からうまく立ち上がれず、
主人に支えられて中待合室に戻る。
主人の目も潤んでいた?気がする。
かばんから、大雨で用意してきた大きいタオルを出して
涙を拭いていたら、主人が子供の頭をなでるように
私の頭をとんとんとなでた。

二人で転移の無かったことを喜んだ日、
一生忘れない。

乳癌とわかったとき、
死への恐怖も大きかったのですが
切ってしまえば治ると楽観していました。

恐怖から逃れるため
そう思い込もうとしていました。
しかし、色々と自分なりに
調べるうちに、
そんな生易しいものではないと知りました。

特に乳癌はリンパ節に近い部分に発生するため
全身に転移しやすい。
術後も抗がん剤、ホルモン治療、放射線、などの
治療を継続していかないと完治したとはいえないのです。
それは再発があるから。

癌の種類も状態もその個人で様々で、
まったく同じことはありません。
再発する時期も10年以上たってのこともあるようで
ぜったいに気を抜けない病だと思います。

克服されているかたのお話を聞きましたが
その精神的なお辛さ、
術後の体の不調を耐え忍んだこと、
長期継続しての通院など、
本当に大変なことだったと思います。

一言でいえないお辛さだったでしょう。

私もこれから手術を受け
自分の身がどうなるかわかりませんが
ずっとずっと少しでも長く生きられるように
できる限りのことをしていきます。

そして、周囲に迷惑かもしれないけど
辛いときは正直に言って
助けてもらおうと思います。
私は、

「がんばって!」
「もう少し!」
「よく我慢した!」

って言葉をかけてもらうだけで
すごく元気が出るのです。

そして痛みをわかってくれて
「痛かっただろう、たいへんだったね」って言ってもらえたら
なんだか、救われる気がするわがままな私です。
これからも
どうぞよろしく。

そして今からは入院、手術に向けての
準備に入りますが
毎日鉄子の写真を撮っていきます。

お留守番が多くなる鉄子です。

がんばって
待っててね。

乳がんがわかったとき(2012.4.27)

自分がまさか癌になるとは。
思っても見なかった。

私は至って健康だった、今まで。

太っていることと
時々悪化するアトピー以外は。

父の介護をしていた時期も
風邪も引いても寝込まず、
父の下の世話で寝ないで付き添っていても
体を壊すことなく
短い睡眠でも翌朝元気で、
家族からも丈夫な人間と思われていた。

実際、乳がんがわかるまで
本当に健康だったのだ。
わかった後だって何も変わらない体調で
本当に自分ががん患者になったのか
疑わしく思っていた。

でも、二つの病院ではっきり乳がんと
診断を受けた。

 

最初は、4月の半ばに
やかんを取ろうと腕を伸ばしたとき
少し胸と腕の付け根がピリッとしただけ。

その後、気になって鏡で胸を見た。

胸のふくらみの下に長さ1センチの引きつれが3本あった。
そして乳首の横、
これは以前からアトピーで掻きこわし
陥没した部分なのだが
その陥没がややひどくなった感がした。
しかし、触っても何も触れない。

ネットで「胸、引き連れ、陥没」などで検索。
出てくるのは「乳がん」であった。
だけど「まさかあ!、きっと乳腺炎だよね」という気持ちだった。

すぐに
人間ドックを予約した。
自営業になって10年余。

健康だった私は
健康診断を受けていなかったので
久しぶりに全身を調べてもらおうみたいな感じだった。

父が亡くなった総合病院に最近、新しく
人間ドックの施設ができたと知り、申し込む。
そして4月27日、脳以外のすべての検診。
もちろん、マンモグラフィーもエコーも。
子宮ガン検診も行った。
エコーの際、技師が同じ場所を何度もエコーして
ピッピッと撮影するボタンを押すのが気になったけど
乳腺炎くらいに思っていた。

しかし、当日に結果を聞くことになり
思わぬ事実にがくがくと震えることになった。

「全体的には健康体ですね。だけど一点気になるものがありました。
胸にしこりがあるようです。
すぐに精密検査を受けてくださいね」と女医さんが言う。

「え!」と私、
「だって触ってもなにもありませんよ」

そして目に飛び込んできたのはパソコンの文字「悪性腫瘍」

え!!悪性腫瘍って・・・がん?

もう、ここで私のその日の思考回路は停止している。

人間ドックが終わって病院で用意された豪華弁当も
まったく食べる気がせず、
主人にメール「すみません、どうも悪性腫瘍の疑いがあるそうです」と。
主人からすぐに返事。
「わかりました。がんばりましょう」
その言葉で一気に張り詰めた糸が切れて、
涙がこぼれた。

がんで亡くなる場合がある。
私もそうなのかな。
もう長く生きられないのかな。
鉄子の面倒は私にしかできないのに
どうしたらいいのかな。
と、悲しいことばかりが頭をぐるぐるした。
泣くのはやめた。
泣いたって何も変わらないし。
周囲を暗くさせるだけ。
癌だって言うだけで
みんなショックを受けるんだし。

がんのことを家に帰ってしらべよう。
そして闘う。
前向きに考えようと頭を切り替えるわたし。
無理やりに、元気。

タクシーで家に帰る。
「ただいまー」って明るい声を出したのに
なぜか、震えた泣きそうな声が出てしまい、
主人を心配させた。

———————–
そして5月10日の精密検査。
人間ドックと同じ病院の乳腺科に予約。
まだこのときも、「乳腺炎」かもしれないと思っている。

乳腺科の南海キャンディーズ山ちゃん似の
優しい医師の診察。
エコーの結果、やはりしこり確認。

しこりに麻酔無しで針を刺し、細胞を吸い取る。
涙がいっぱい出るほど痛かった。
先生に色々聞いても
知識の無い私は何を聞いても的外れだった。

がんのことを調べる必要ありと思った。

———————————————–
この優しい先生に不満は無く
感謝していた。
ここで手術してもいいのかもしれない、
けど、総合病院で癌専門ではない。
受付で「乳癌の検査で」というと
近くにいる患者が皆振りかえった。

煩雑すぎるこの病院で気持ちが
自分は納得できるかな。
自宅に帰って、
ずっと調べた。
乳癌の手術に長けていて
実績のある医師のいるところも
何箇所か調べた。

その何箇所かの病院に電話。
セカンドオピニオンとしてどうか、
しかし、有名な都心の病院はどこも
はじめから診察に1ヶ月から2ヶ月待ちであると
事務的に言われた。

もう一箇所、行きたいなと思ったが
少し遠い癌専門病院があった。

がん研有明病院である。
評判がよくどこを見てもここのことが書かれていた。

遠いけど、自分の病気を治すためには
遠いからと避けてる場合じゃないと思い
まず、電話してみた。

すると
「事情を詳しくお話ください」と優しい声。
そして今、地元で検査中である話をすると
「わかりました。こちらで治療されたいというお気持ちが
固まっておられるようでしたら
今から予約を取りましょう。
診断結果が出てからでは、、その日にちは延びてしまうので
5月25日に予約入れますので
どうぞ安心してきてください。」と言われたのだった。

何もわからず、うろうろする気持ちであった私の
目の前に道ができました。

それからそのことを主人に相談。
「遠いけど私が行きたい病院が決まった」と。

主人は病院の説明を聞いてくれ
「遠くても自分で行きたいと思った病院だったらそれがいい。
そしてその病院だったら間違いないでしょう」と言った。

私は「手術日だけ来てくれればいいので」と、言って
遠い病院へ行くから
なるべく周囲に
面倒かけないようにしようと思った。

—————————
そして翌週の5月14日、
針で取った細胞の診断結果。

やはり癌の可能性高しとの結果。
更に太い針で細胞を取りますという医師の話に
ビビリながらがんばった、
「乳房穿刺生検」

今回は麻酔あり、
でも、太い針を胸に刺してすぐに激痛。
バチっと大きい音がして
細胞を採取するらしい。
器具は怖くて見れない。
メガネを外せば何も見えないので
ずっと外したままにした。

1回で取れずに2回行った。

血の匂いで気持ち悪いなと思った。

激痛の中「痛いです」と先生に訴えながら何とか
無事に細胞を取ることができた。

痛みであふれた涙を拭いて医師の話を聞く。

明日はCTの予約取れたとのこと。
CTでがん細胞がリンパに影響を及ぼして無いかの検査。

このとき、細胞の画像を先生に見せてもらう。
とても怖い画像だった。
自分の胸にがん細胞。
でも、見つかったばかり。

ここで勇気を出してこのやさしい先生に悪いなと思いつつ
「がん研有明病院の〇〇先生に紹介状を書いていただけないか」と
申し出る。

先生は、「いいですよ。そこは良い病院ですね」と
快く承諾くださった。
とてもありがたかった。

—————————–
5月15日
昼食抜きで病院へ行く。
地下のCT検査室。
気の弱い私はすでに造影剤を注入しながらの検査ということに
おびえている。

ちんまり廊下で待っていると中から
キュイーンという飛行機の飛び立つような音が聞こえてくる。
怖いなあ・・

自分の番になり、
短い筒状の検査機の中に入っていくベッドに横たわり
左手に点滴針。
やはりここでめがね外す。

キュイーンと大きな音。
そしてベッドが動き胸がその筒状の中に入っていく。
しばらくすると看護士さんの「今から造影剤を入れます。
体が熱くなるけど大丈夫ですよ」との声。

瞬間、一気に体の中にお湯を入れられたような違和感。
初めての感覚に驚いた。
でも、あっけなく検査は終わり、早々に病院から出た。
その日はそのヨード剤の影響か
少し悪寒がして気分悪い時間があった。

この検査でリンパなどへの影響がわかるという話しで
次回検査結果は21日。

それまで、色々調べようと思った。
そして精神的に落ち込むこともあり
悪いほうへ考えるあまり
気分が悪くなり、しばらくブログをお休みした。

———————————————-
5月21日
CTと細胞検査の結果を聞きに。

やはり癌確定。
ステージ2。
そして明らかなリンパへの転移は認められないが
今後の精密検査の必要あり、との話。
(↑ これは後に手術中の検査で転移ありとなります)

とりあえず、リンパの話でほっとする。

紹介状がちゃんと用意されており
新しい病院へ持っていく画像のCDロムと
細胞のプレパラートも渡された。
プレパラートは後日、病院へ返還とのこと。

山ちゃん似の優しい先生に
たくさんお礼を言って
診察室を出た。

そして25日から新しい病院!